お侍様 小劇場

    “閑話休題 〜冬から春へのあらかると(お侍 番外編 10)
 


          




 中学校や高校のみならず、今時だと小学校でも。そろそろ本格的なシーズン、いわゆる“本番”へと突入するのが進学に向けての“受験”というやつで。少子化が問題視され出して結構になるけれど、それでもまだまだ競争はその激化を緩める気配はないらしく。だからこそ、先で楽が出来るようにということか。小学校からの名門校入りを目指して、家族一丸となり“お受験”を構える家庭というのも、特別なことではなくなりつつある昨今らしいが。だからといってそれが普通普遍にまではなってもおらず。希望する将来への進路がどれほど定まっているものか、自分の実力というものをどれほど客観視出来るか、そしてどれほどの“伸びしろ”を自身に設定出来るか。そういった諸々と額を突き合わせつつ志望校を絞り、1年でも半年でもかけての努力研鑽した上で、入試という戦さに挑む…というのが、依然として現今の“普通”ではあるようで。



 高校の三学期というのは、センター試験を皮切りに三年生の大学受験が始まる頃合いなのと、中学生が受験しに来るのを迎え撃つ態勢への準備の必要があることとが重なっているため。他の学年までもが短縮授業になっていたり、たいそう早い目に定期試験が始まってとっとと春休みへなだれ込んだりするのがセオリーで。受験に関わりのない学年は、ここぞとばかり部活に励んで、春休みの新人戦などに備えたりもする。立春辺りから春分までという、一年の中で最も寒さ厳しいおりではあるが、そこは若さが物を言い。グラウンドの方からは、野球部だろうか“せぇごっせ〜っ”とか何とかいう、野太いトーンでの掛け声が猛々しくも聞こえて来。それを縁取ってのこちらは女子の声、ファイトォ・オーを連呼する高い声が、リズムよくもなめらかに流れてくるのが。冷たい空気の中だからか、ちょっぴり寂しげに聞こえるものの、
「けどま、ウチの女子バレ部はインターハイの常連だしな。」
「そうそう。」
 見栄えはどんなにか弱く見えたって、オフェンス陣は杉板をへし割るほどもの弾丸スパイクがこなせることが伝統で。昨秋に主将を引き継いだ新キャプテンなぞ、小顔で泣きぼくろが可愛らしい、ちんまり小柄なセッターさんだが。登校途中の電車内にて、女の敵、憎っくき痴漢を何人しょっぴいたかという勇名…でも名を馳せておいでなのだとか。校庭に描かれたトラックに沿って、2列に並んでのランニングは練習前のウォーミングアップ。トレーニングウェア姿で足並み揃えて駆けてった、その一群に追い抜かれた格好で。視野の中へと、姿を現した人物へ。おおと気づいたクラスメートが、一緒に帰ろうやと声をかけたが、

 「…。」

 きっぱりぱっきり反応はなく。本来ならば、場合によっては、無視しやがってとむかつかれるところ。とはいえ、その彼には珍しいことではないものか。声をかけた二人連れも、あれれと顔を見合わせはしたけれど、しょうがない奴だねと肩をすくめて苦笑をするばかり。振り向きさえしないまま、すたすた歩き続ける寡黙な君は、茶髪が珍しくはない昨今でもかなり人目につくだろう金色の綿毛をその頭にいただいており。一応は“生来のそれです”という届けを生活指導の先生へ提出済みだが、白い肌に淡い色合いの瞳だということもあり、ハーフかクォーターだろとでも解釈されたか、さして問題視されることもなく。だからのこと、日本語もやや苦手なのかもと解釈されての、存在感があるんだかないんだか。非常にマイペースで高校生生活を送っておいで。素行に問題があるでなし、皆勤賞ものの連続登校をつつがなく続けており。成績もまんべんなく上位を取っておれば、運動もそこそここなせるし。ただちょっと、空気を読めないところがあるものか、細おもての結構二枚目だってのに、寡黙が過ぎての取っつきにくく。男子も女子もあんまり近寄れぬまま、高校生としての初年度が過ぎようとしている…というところ。
「悪い奴じゃないんだけどな。」
「うん。当番もちゃんとこなすし、困ってりゃあ手を貸してもくれるし。」
 ただあの無口は、社会に出たら困りゃせんかと。同級生から案じられてる困ったさん。彼らのそんな会話を聞くともなく聞いてた人がいて、
「…。」
 そんな彼らの先にいる、細い背中を同じように見やりつつ…目許を眇めた二年生。はあと小さく吐息をつくと、そのまま大きく息を吸い込んで、

  「くぉらっ、久蔵っ! 部活があんのを放っぽり出すかっ!」

 芯がピンと張っていてなかなか張りのあるお声は、丁度 間にいた格好の一年生二人までもを“ひぃっ”とばかりに飛び上がらせたが。こらと罵倒された、当の本人さんはと言えば。
「…。」
 ゆっくりと立ち止まり、さして動じてないらしいお顔、いやさ…少々不服げに眉を寄せて見せての振り向いて、

 「あさ。」

 ぼそりと一言、返しただけ。それへとますますのこと、キリキリと細い眉をしかめた先輩さんは、

 「馬鹿ものっ。勝手にサマータイムを導入しやがっても聞かれぬわっ。」

 早朝練習をこなしたから、放課後練習は相殺されてると言いたいらしいのを。あんな短い一言であったにも関わらず、きっちり理解してのしかもお返事まで出来るところが物凄い。
「大体、今日の集まりは練習じゃなくミーティングだと言っておいただろうが。」
 連絡事項や何やの申し送りだ、早朝練習と相殺出来るもんじゃねぇんだよと。わしわしと歩み寄ってのそのまんま、逃げるのは許さずということか、腕を捕まえてのほれほれと。半ば引きずるようにUターンさせる、腰の強さが頼もしい彼こそは。剣道部の新主将、兵庫くんという御仁。掴みどころがないくせに存在感だけは余りあり、何より腕っ節は全国レベルという。いろんなところで勝手が違い、何とも手のかかる問題児の一年生を。よくも根気の続くこと、1年でも年が上な相手へのお返事は“はい”と切れよく…という小さなことから、試合に臨むおりに限っては年功序列はないものと思えという大きなことまで、余さず面倒を見ておいで。叱ったり いなしたり、怒ったり…怒ったり。よくも続くな、あれこそが奴のずば抜けた粘り強さよ、あの若さで大したものだと。三年生からのみならず、顧問の鉄斎先生からまで一目置かれているほどの、我慢強い人性であり。……って、それって果たして褒められてるのかなぁという、一抹の不安というか疑問というかも残れども。
(う〜んう〜ん) とりあえず、彼に言わせりゃ“自分の精神衛生上”放置すること敵わずという、条件反射レベルの反応が出てしまうまでのこと。よって、取り留めが無さすぎるこの一年坊主は、自分が徹底して指導をし、礼儀正しい剣道部員に仕込んで見せましょうと、妙な決意を固めて下さっており。

 “……でも、今んところは負け戦続きだよねぇ。”

 おおう。誰ですか、そんな大胆なご意見を紡いだのは。声に出して言うのはさすがに憚られたらしいものの、それでもそんな心情が、ついついお顔に出たものか。手のかかる後輩を引き摺るようにして戻って来たサリバン先生、もとえ、兵庫先輩を。通りかかったそのついで、昇降口の戸口枠に凭れて、見物まがいの眺めようをしていた男子が約1名立っており。隠しもしない不躾な視線に気づいた兵庫の方でも、知らない顔でもないからか、
「何してんだ、矢口。」
 気安く声をかけて来る。お前も練習があるのだろうにと、間接的な言い方になるのは、相手が剣道部員ではないからで。背中まで届くほど伸ばされた髪は、長さこそ先輩殿とお揃いなれど、学校が休みに入るとド派手に染めるせいか、質は悪くてぼあぼあと膨らみ。その様子に何を感じたか、
「…。」
 引っ張られて来た後輩くんが、ついのこととて手を延べて来るのへ。猫でもじゃらすかのように、一房摘まんでほれほれと、捕まえてみやと誘ってみたりし。
「大変ですね、先輩も。」
「もう慣れた。」
 そうとでも思わないと身がもたぬと、言外の心境まで掬い取ってだろう、くすすと微笑った矢口くんとやら。
「前から聞きたかったんですけれど、何で剣道部の皆さん、こいつのこと名前で呼んでんですか?」
「ああ、それか。」
 ご本人を前にして、本人に聞かないのも大した扱いだが。そのご当人はといえば、聞こえていように…やっと捕まえた矢口くんの髪の荒れ具合、どっかの誰かさんのに似た手触りがするらしく、
「…vv」
 握った手のひら うにうにと、閉じて開いてを繰り返し。その感触が気に入ってのことか、玻璃玉のような瞳がちょっぴり明るさを増し、仄かに口許がほころんでいるのは、ちょっとだけ機嫌が直っているということだろかも。そんなマイペースっぷりでは、あんまり同情のし甲斐もないというところかも。とはいえ、
「…。」(んなバカな…)
「…vv」(いやいや、かわいいかもですってvv)
 幼児が気に入りのおもちゃを見つけた時の、じんわりした笑顔を見たようで。そんな思わぬ可愛げへ、居合わせた双方ともに…思わず視線を奪われた格好になりつつも。

 「つ、つまりだな。」

 我に返っての話を戻した、兵庫先輩の言うことにゃ。
「こいつ、入部当初は“島田”と呼ばれても返事をしなかったもんでな。」
「ああ。でもそれって。」
「うむ。苗字が変わったのがこの春からだと、後で聞いた。」
 木曽の山奥、随分と鄙びたところで育ったものが。両親を亡くしたその次に、養い親だった祖父母も亡くなったという家庭の事情から。遠縁の島田さんチへ引き取られたのが、先の春の話。住環境が大きく変わったその上へ、いきなりの変名とあっては、なかなか慣れるものじゃあなく。だが、用があって呼んだのに返事がないというのでは、こっちもなかなか対処に困る。いちいち駆け寄って肩を叩くのも手間の要ること。そこで、

 「名前のほうは変わってないというものだから。」

 そりゃそうでしょう。
(苦笑)

 「そこで、じゃあ慣れるまでは名前で呼びゃあいいと。」
 「鉄斎センセが言ったんですか?」

 そりゃまた大胆というか乱暴なというか。男っぽくも古風なお人に見えて、だが、あれで生徒が相手でも気を遣うところもある顧問先生にしちゃあ豪気なことをと感心すれば、

 「違う、俺が、」
 「兵庫が言い出した。」

 先輩を呼び捨てにするなといつもいつも言っておろうが、しかも指を差すとは何事か。いつの間にか話を聞いてたらしい久蔵くんが、失敬な所作つきで口を挟んで来たのへと、このヤロめがとの説教が始まって。とりあえず部室だ急ぐぞと、再び歩み始める彼らだったので、
「すいませんね、呼び止めて。」
 送り出しがてら笑顔で見送った矢口くん。実を言えば…そろそろ間近い女の子のお祭り、甘いお菓子が飛び交う決戦を前にして。いつもいつでも冷然としていて取り付く島がない割に、剣道部の皆様からは、親しげに名前呼びされてる誰かさん。その本命さんが、もしかして…そんな中にいるのかどうか、調べて欲しいと頼まれたものだから。さりげなくを装って、訊いてみてあげたのだけれど。

 “…そっか。それだけのことか。”

 だったら兵庫さんだとて、奴に傾いてる訳じゃあないってことだよなと。妙にホッとし、笑みが濃くなる。こちらさんもまた、微妙な恋心を抱えておいでの彼らしく。…いやぁ、極寒の季節も爆弾低気圧も、若い人には何するものぞなんですねぇvv






          ◇



 暦の上では節分立春を過ぎたとはいえ、まだまだ、むしろこれからこそが、最も厳しい寒さの訪れる時期であり。
「夕方は結構長くなりましたが。」
「そういやそうですね。」
 でもその分、朝が来るのが微妙に遅い。関東地方はそれほどでもないかも知れないが、関西では6時台に入ってもまだ、空は黎明の青灰色だったりする頃合いで。
「洗濯物の乾きが悪いのが恨めしいんですよね。」
 冬場だからどうしたって厚手のものを着る。だから尚のこと、乾くのにも時間がかかる。さりとて、どれもこれも乾燥機で乾かすというのも、縮んだり型くずれしたりしないかが心配だし。
「けど、シチさんトコにはサンルームがあるじゃないですか。」
 大きな窓が東南方向を向いた、お二階のそりゃあ暖かな一角で。一応はオーディオルームとかいうお部屋だそうだけれど、昼の間は家人もいないのだ。遠慮する相手もいないうち、干しまくればいいだろにと、午後のお茶を飲みに立ち寄っていた平八が言い出せば。
「それは…そうなんですけれど。」
 丁度頭上にあたるその部屋を、天井越しに見上げた七郎次が、
「なんか、所帯臭い風景になるのが…ちょっと。」
 さすがに照れ隠しが出てだろう、ほりほりと横鬢を指先で掻いて見せるのへ。
「何を贅沢なこと言ってますか。」
 平八も一気に呆れてしまい、頬杖ついてたお顔を手のひらから転げ落とすほど、脱力しつつ目元を眇めてしまう始末。とはいえ、
“だから、なんですかね。”
 当家の家事一切を任されているこの青年が、だが、いつまでも瑞々しいまでの美貌と、嫋やかな品格のようなものを失わず、一向に所帯臭くならぬのは。彼が男性だから、なりふり構わずというほど力まずとも、あれこれこなせるというところと それから。時折こんな風に覗かせる、妙に世間離れした感覚のせいなのかも知れず。だとすれば、彼らしさを薄めることになってはいけない。よって、無理から正してやることもないかと。あ〜あと言いつつ、それ以上の意見はしない平八でもあって。特に言い合わせたこともないし、何かしら気まずくなったことがあってのそれから、用心しているなんて訳でもなく。なのに、不思議と相手のあれこれを詮索しないことが、お互いへの暗黙の了解のようになっている。

 “けど、ここんところは…。”

 ゴロさんがお好きだったでしょうと、カラスミだのリンツのチョコだの、おすそ分けにと持って来てくれる七郎次だったり。はたまた甘党な久蔵さんにと、市販のあめ玉からカラフルな逸品が自在に作れる“綿飴マシン”とやら、知人から譲ってもらったのを融通して差し上げる平八だったりし。それってつまり、互いの家庭の好みや傾向、自分の家族の延長みたいな感覚で、覚えつつあるからではないだろか。こっちから知ろうとすることはあっても、向こうから知られるのって、

 “これまでだと、生理的に警戒してしまってたのにね。”

 なんでどうしてと、ガードが堅くなってしまったり。ひどいとそのまま行方を晦したくなったり。そういう境遇に長くいた弊害。他者からの干渉がどうにも苦手で。それゆえに、なかなか“普通の生活”が送れないのがジレンマで。

  ―― それが。
      この町に来てからは、はや5年は経とうかという落ち着きよう。

 頼もしい五郎兵衛との同居の心地よさも、勿論の理由ではあったが。押しつけがましくはなく、腫れ物へ触れるような及び腰でもなく。軽やかな接し方をしてくれる七郎次の傍らが、平八には妙に居心地がいい。気を張らずともいい、素の顔でいたって全然問題ない。こんな気分でいられる相手は、五郎兵衛に次いでの二人目で。

 『ヘイさんの方が、意識のしすぎなのではあるまいか。』

 五郎兵衛が言うその通りなのかも知れぬと、理屈では判っているけれど。実際に身を置く場に於いて、ついつい警戒が立ってしまうのは已なき習性。食うために仕方なく、車輛工房の看板を出してはいるけれど、あんまり評判が立つのは御免と、故意に手の込んだ仕事しか請け負わない我儘な働きっぷりで。だのに、何にも言わない五郎兵衛に拾われてからの、初めての落ち着ける居場所がこの町で。

 「…あ、ありゃりゃあ。」

 不意に、奇妙な声を上げた七郎次が立ち上がり、ばたばたっと慌ただしい様子で窓へ駆け寄る。どうかしたかと平八もまたそちらを見やれば、

  ―― 音もなくのさあさあと

 みぞれが、いやさ、ぼたん雪が、結構な降りようで窓の外を埋めているではないか。
「うわ、すごい降りじゃあないですか。」
「ひゃあ、しまった〜。」
 ちょっとは風で乾くかと、陽も出てないのに干していたシーツやバスタオルが、雪をまとわせて大変なことに。慌てて庭先へと飛び出してゆき、片っ端から手際よく取り込む七郎次であり。それを受け取ってはソファーへ移しと、手伝ってやっておれば、
「ヘイさんチは大丈夫なんですか?」
「ええ。ウチのは乾燥機任せですから。」
 そっか、やっぱりこの時期はそうした方が良いのかなぁと。少しほど湿ったらしい洗濯物を抱えたまんま、サニタリーの方へと向かってった当家のおっ母様。あとちょっとの分を乾燥機に任せたらしく、
「ここんとこは降っても雨だったから油断してたなぁ。」
 戻って来ての開口一番。まだ降り続く雪を見やって、そんな言いようを継ぐ彼で。何がですかと、その言いようへ問い返せば、

 「だって雪って音がしないじゃないですか。」

 眺める分には嫌いじゃないですけど、こういうときは早く気づけないのが困りものですよと、それこそいやに所帯臭い言いようをするものだから。

 「私は雨のほうが苦手かなぁ。」

 映画か何か、現実ばなれした映像のように見えるのは。七郎次が言うように、音もないまま さあさあと降りしきるからだろか。視野を真っ白に塗り潰す勢いで降り続く雪を眺めながら、ぽつりと呟いた平八であり。
「苦手、ですか?」
「はい。」
「何か、ヤなことを思い出すとか。」
「そうでもないんですけれど。」
 ああでも。

  「ゴロさんと初めて逢ったのが、そういや雨の降ってる中だったかな。」

 妙に動物に懐かれる人で。そのせいか捨て犬や捨て猫を見ると、ついつい拾ってしまうような気立てをしていて。でも、無責任にも数を集めたりはしない。出来る限りは里親を探して回るような人でもあって。

 “私も捨て犬に見えたのかもですねぇ。”

 雪の降りように気を取られていたせいだろか。言わずもがななところまで、言葉にして洩らしていたのが、平八自身へも意外なこと。あっと我に返って顔を上げれば、
「…。」
 急須を構えたまま、手が止まっていた七郎次と視線がかち合い、


  「なんですよ。」
  「なんですよ、じゃないでしょが♪」
  「だから、なんですよ。」
  「続きは? ゴロさんと出会ってそれから?」
  「何で話す必要がありますか。」
  「え〜、そこまで言っといてそりゃあない。」


 ―― ねえねえ、どんな出会いしたんですか?
     配達途中だったキッチンカーがエンコしてとか?
     そこへ来合わせたゴロさんが、どんと叩いたらエンジンがかかって…。

 ―― 何でまたそんな、下駄の鼻緒が切れたのと、
     昔のテレビの直し方とが合体したような出会いをしなきゃならんのですか。


 珍しくも粘られたのへ、言いませんたら言いませんと振り切るように飛び出して。自宅である工房のほうへ、降りしきる雪も何のその、庭ばきサンダルにて逃げ出した平八だったものの。
“…ゴロさんが叩いたらエンジンがかかったは良かったですね。”
 ああやはりシチさんにはかなわないと、くくっと吹き出したそのまんま、笑ってしまうばかりだったりし。
「どうした。今日はばかに陽気なことだの」
 降りしきる雪に髪を肩を濡らして戻って来た同居人が、その割には妙に機嫌がいいのへと。出掛けていたものが実は早めに帰ってたんですよの家主殿。バスタオルを広げて待ち構えていて下さったので。

 「な〜んでもありませんもの〜♪」

 歌うように言いつつ飛びついて。不意を突いてもたたらを踏まない、至って頼もしい人の暖かな懐ろへ、幸せ抱えたその身ごと受け止めてもらった、小さなエンジニアさんだったそうですよ。






    おまけ



 「久蔵殿、お帰り…なさいませ。それ、どうしました?」
 「シチを過保護にし過ぎだと。」

 ついさっき、帰りついた門前で、平八に呼び止められて預かったと言って。おっ母様が見立てたスコットランド風のインバネス、肩からのフードが胸元を覆うようになってついている型の、しゃれたコート姿の次男坊が。その手にしていたのは…乗馬用の鞭であり。

 「これでどうしろと。」
 「はて。」

 勘兵衛と久蔵との二人がかりで、甘え甘やかすばかりじゃあなくの、たまには厳しく躾けろと言いたいものか。それにしたって鞭はないでしょうにと、困惑気味に眉を寄せ、それでも苦笑が零れたおっ母様。

 「判りました。明日にでも、ヘイさんへ返して来ましょう。」

 妙に泰然とした風情で、威風堂々、受け取った七郎次さんであり。ど、どうか、お手柔らかにね?
(笑)




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